古多更一の論画

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10年代の想像力① 道化が多正義に勝る

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 今回は、東京喰種reが実は、
21世紀の正義の問題に挑んだ怪作
という視点を伝授❗
なぜフツーのジャンプ作品より
真っ直ぐなヒーローが余りいないのに、
カッコいい話しなのか分かるはず。
普段の日常の漫画に
今を知る鍵がある。
 
 東京喰種re、
人間を喰らう喰種と人間、
2者の真ん中の半人間になってしまった
主人公、金木の話なんだが、

 圧倒的、
現実主義で非現実=中二病をしよう!の
肯定を描いている。
21世紀を生き延びる知恵だよ。

 20世紀的な超最強な、
喰種を殺す喰種捜査官のトップ、
有馬は絶対的な強さを誇っていて、
20世紀的な超最強な、
喰種を束ねるアオギリのボス、
エトは絶対的な強さを誇っている、
が、有馬は主人公の金木に負け、
エトは金木を半人間にさせた旧多に
負けてしまう。

 20世紀な1つの正義内で
最強の二人に勝ったのは、
21世紀な変人たちだった。

 絶対的な強さなど、
正義が乱立する時代では無意味。
例えば、悟空は善人なのだろうか?
フリーザーという悪を結果的に
武力で殺している。
悪でも倒す時点で、
フリーザーから見たら、悟空こそ悪だ。
今は、悟空やフリーザーだらけ。
違う主張が何十万だらけ。
そんなときに、1つの正義だけを志向するのは、 残りの何十万から見て、悪人だ。

 二項対立で、悟空が善で、フリーザーが悪、といった、単純な考えではなく、
皆が正しくも正しくないという
社会になっている。
1つの分野に強くても、
多様化した時代では、
1つの分野に固執することは、
真に最強ではない。

つまり、絶対的な正義の時代は終わり、
正義は小さな正義だらけになっている。
だから、有馬はしょせん人間止まりの強さで、エトはしょせん喰種止まりの強さだ。

1つの正義を主張する時代は終わった。

 金木と旧多は喰種と人間の半人間であり、
1つの正義に固執しない多正義だらけの
新たなヒーローなのだ❗
多用な面から見れるから、彼らは一番強い。

 しかし、多用に見るということは、
自分の嫌な部分や環境を見ないといけない。

そして、金木は新たなヒーローになりたくなく、
葛藤を引き起こす。
当然だ、旧多の策略により、半人間という
自己否定を引き起こす多正義を理解する
立場にされてしまうのだから。

金木は、人間と喰種の良い部分を理解する
多正義理解の強さを得る一方、
人間と喰種の悪い部分を直視する
多正義不理解による弱さも得てしまい、

 よって、
1つの正義=1つの人格がバラバラになり、
多重人格=多正義の矛盾 になるのだ。
何度も人格を変えるのは、多正義の乱立に
耐えきれないからだ。
金木、佐々木の人格だらけ。

 しかし、旧多は違う。
旧多はまったく狂わない。
いや、発言や行動は、旧多はキテレツだ。
普段から、自分は最強or最弱アピール
しまくり、何がしたいのか、意味不明。
主人公たちに会うたびに刺され、
何度も死んだフリ。

 一方、多正義で混乱しながらも、
真面目に喰種の世界を作りたい金木は、
ザ・常識人のお利口さんだ。

 しかし、内面が狂って、人格崩壊をし、
最後はガチにおかしくなるのは

金木で、
旧多は半人間=多正義肯定で踏み止まり、
黒幕として蹂躙し、マトモだった。

 この差は何か?
21世紀の多正義だらけは
矛盾だらけなんだから、
矛盾だらけには、矛盾で対抗せよ!

という旧多の現実主義の現れだったのだ。

狂っている状況で、真面目に対抗するのは
馬鹿馬鹿しい。むしろ、狂っている状況には、
チャランポランに対抗するのが、
本当に自我を保てる21世紀の多正義時代
に対する処方箋だったのだ。

 それに旧多はキテレツな発言をするが、
全てが始めから嘘と分かる発言ばかり。
つまり、彼は現実しか見てなかった。
コトバはいつだって不確かだから、
真面目な発言こそ怪しい。
友情 努力 勝利 
ストレートに信じられる?
でも、旧多は現実主義者だから、
相手に信頼させたり、
相手に批判される機会を作るよう、
毎度、過剰な嘘で隙を見せていた。
バカのフリをする人間は
相手に主導権を渡すから、
信頼される平等な立ち位置の人間なのだ。
彼はわざと悪役を演じている道化師🤡

 民主主義と情報革命は、
皆のチャンスや機会、考えを認め、伝える。
しかし、あまりに多すぎて、
誰もが正しくて、誰もが間違えている
多正義時代を産み出してしまった。

 結局、
多正義=無正義の殺し合いの資本経済が
現代のルールであり、皆フワフワとし、
自己正当化の1つの正義に金木のように引きこもり、多正義の乱立に耐えきれず、頭がおかしくなるのだ。
右翼は左翼を認めず
右翼の集まりで引きこもり、
左翼は右翼を認めず
左翼の集まりで引きこもり、
皆、1つの正義に固執して対話をせず、
問題解決を丸流れの現実逃避。

 旧多は、誰が正しいのか、正しくないのか、
そんな二項対立、20世紀大戦を
2度起こした自意識学問対決を
統合し、多正義を楽しむ、新たなインテリだ。

ちなみに、私のペンネームは、古多更新、
旧多二福から名付けた。あぶら〰️ぜみ〰️