古多更一の論画

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反哲学の哲学① ビジネス本でリア充


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 哲学を一言でいうと何か。
裸の王様に対して裸といった少年だろう。
裸の王様の国において 王様が茶番であることは 嘘であるけど彼は『シンジツ』だった。 なぜなら本当の真実というものを周りの人間は追求したくないし、 そもそも王様が裸であることを 正しいことだとみんな信じているからだ。

 

 えっそれって昔の話だろ。 昔の人間は本当に頭が悪いよな。 いやいや今でも溢れた話だ。 科学万能主義なのに 、恋愛や友情、職場と言う主観的合理性に対する苦手意識を感じている人々はネットで見受けられる。彼らは矛盾にも気づかない。
自分たちで万能と言いながら、どうして科学で対人に強くないのか、いや不満を抱えているのか。
万能でないのは自明だと彼らの人生や批判が
もはや証明しているのに、いや!科学を信じない人々は宗教だから!と宗教を叩く宗教という惨めな同族嫌悪に陥っている。
結局、彼らにとっての科学とはどうやって自分を大きく見せるか、自分をマッチョに見せるかという
古代から続く承認の問題にすぎない。

 

 もちろん政治や文学、ボランティア、
あらゆる所に、こういった宗教を叩く宗教という惨めなブーメラン図式はたくさんいる。
シュミットという政治学者は、味方の作り方を、敵を見つけることと仰っていたが、まあ宗教を叩く宗教というのは、敵を本当に倒すと、味方を失う。
敵がいるから集まったという動機付けの集まりのため、皮肉にも敵の存在に依存している。敵がいなくなったら、動機はなくなるのだ。しかし承認が第一目的のため、解散はしたくないから、敵を小バカにしながら、でも本気で議論できない袋小路になる。
政治の対立もエビデンスとか歴史間とか難しい話をする必要はなく、ようするにルサンチマンの水掛け論、いや戦い自体が楽しい可能性がある。むしろ、政治の問題を政治として扱う、科学の問題を科学として扱う、ということ自体が不毛である場合もある。
コトバを難しくしてるだけで、好きな子にイタヅラして感心されたい少年たちかもしれない。

 

 では、合理を疑い、宗教を疑い、
いや、疑う自分すら疑う、

いや、その思考自体が環境に操られているんじゃないか?いや、そもそも哲学自体がムダではないか?

ここまで真理を求めた哲学は、
当然、承認を拗らせた、

もしくは自分を守る愚民たちに役に立つか。いや、役に立ちにくいと思う。
だって、余りに正しすぎることは、

人生に役に立つとは限らないからだ。

 

 問題を整理しよう。

基本的に承認や自己正当化を
拗らせたインテリキャラたちの目的は、

真理よりも『楽しい人生を送ること』が目的だ。だったら、真理で治療するよりも、

リア充になった方が良い❗

 

 そこでビジネス本である。哲学は余裕があったり真理を求める暇人のものであり、

リア充になるのには適していない。
ビジネス本を簡単に言うと、

分かりやすい言葉使いとデザインや図式で、文系理系美大の使えるエッセンスだけを

載せているものだ。
え、ビジネス本は胡散臭い詐欺ではないか、
と思うかもしれない、役に立たないと。

 それは詐欺ぽっい仕組みが読者を引き寄せやすいから使っているだけであり、逆に言えば、清々しいくらいに胡散臭いビジネス本は、始めから疑って読みやすい。

詐欺の自己正当化のメゾットは読者を誘導するのに使えるのであり、ビジネス本は開きなおって使っているだけだ。

 

 だからこそ、ビジネス本は胡散臭い疑っている前提で読める読者に優しい詐欺師なのだ。
他の学問の本たちは、自己正当化や合理性に騒がしい。そして、権威付けに忙しい。
んで、ウソがバレたら、隠すのだ。
権威や合理性を普段から意識することは、
結果、ウソついても隠す、ウソをついても言えないというジレンマに陥る。
が、ビジネス本はちゃらんぽらんだから、
ウソ前提で向き合えば良い。

 

 初めからウソつきまくる

心の中ではアカンベーな美少女と、
「私は運命の相手!」と夫を騙し、
裏で浮気ばかりするかもしれないが、
世間体と欲望どっちも維持したい妻
=ウソを認めないウソつき。
どちらを信じるだろうか、
前者の方が読者に優しいのは自明だ。

 

 ビジネス本は、文系こそ読むべきだ。
簡単な数式や科学で普段の生活に関するエッセンスが書いてある。たとえば、『まぐれ』は統計やデータは本当に当たるのかをユーモア交えて書いてあり、数年単位で起きる経済危機から逃れることが出来るだろう。
理系のかたは、道は開けるや人を動かす、といった宗教本が良いかもしれない。
基本的には、古典のビジネス本の焼き回しが
ビジネス本の宗教ビジネスであり、
逆にいえば、古典のビジネス本を読めば
対宗教アレルギーも付くし、宗教の良いエッセンスを効率よく吸収できるのだ。

 

 美大のエッセンスを使ったビジネス本が
一番好きかもしれない。
デザインとは情報整理であり、

普段の情報効率を上げるのに、

デザイナーは役に立っているのだ。
そのデザイナーのエッセンスを

普段から使うと、

人生の理解度が変わってくる。
チャート系や片付け、メモ術、アイデアの仕方などなどは、ビジネス本の隠れ長所であり、宗教的なビジネス本より、デザインなビジネス本に着目してほしい。

 

 さてさて、ビジネス本はリア充になりやすい普段の大衆的エッセンスが存分に書かれていることは理解されたと思う。もちろんビジネス本を批判するビジネス本もたくさん売られている。
え?ウソだろって?成功法則は間違っているや宗教より数式を使え!というビジネス本も売られている。なぜ、ビジネス本がココまで役に立つのか。
それは、役に立つか役に立たないか、

これだけを追求してるからだ。市場原理を生きる大衆な作者と読者を建前抜きに考えているからだ。
俗な読者を幸せにする以外考えていない。

 

 しかし、あくまで大衆的な日常生活を円滑にするにすぎないビジネス本は。

リア充になれてよかった、いやたがだがリア充だろ!まだまだ悩みは尽きない、人生の根元に関わるような。謎を追求したいような。

 

 そこまで来たら、哲学書の出番だろう。
というより、本来の学問の役割だろう。
真剣に根元的な懐疑における自意識を抜いた
真理の探求が、学問になりやすい。
なぜなら、大衆的な欲望なぞ『学問キャラ』
で満たせるからだ。しかし、ウソだから無理をしやすい宗教と学問の良いとこどりに過ぎない。
基本的に、学問キャラになるんだったら、
長期的な欲望の入手のため、
ビジネス本を片手にリア充になった方が良い。
無論、馬鹿馬鹿しいと哲学や学問では
思われるかもしれないが、だったら、
リア充探求やイデオロギーのぶつけ合いは
やめて、真理への探求をしよう❗
哲学を学べば、真理への快楽を手に入れるだろう。
なぜから、哲学の存在自体を疑う哲学は、真理を疑う真理という、1周して知性に近いからだ。

 

 なぜ哲学の話をしたいのに、
ビジネス本の話ばかりしたのか。
それは、リア充になりたいのか、
裸の王様は裸だと言う少年になりたいのか、

ここらへんを曖昧にしたら、
議論が始まらないからである。
自意識を拗らすのは、

議論が始まらない個人の正義の問題だ。
もちろん、宗教は大事であるが、そこを拗らす人々は学問キャラで議論にならない。
宗教は、神はいるからだ、神だ、みたいな論理を自己正当化で使うからであり、反証不可能だからだ。承認や自意識、ナルシズムは各自リア充になって、学問外で解決し満たした方が良い。

 

 リア充になる話をすることで、
哲学を探る第1弾。
反哲学入門かもしれない。
本当は、哲学の用語を見せつけ権威ぶるのが、本来の学問かもしれない。
しかし、従来の哲学者ぶるのは、キャラの温床を作ってしまうのだ。
まあ、反哲学を描くことで、哲学の必要ない人々を救う皮肉にも役に立つ話であった。

 

リア充以外が本当の欲望なのか。
だとしたら哲学第2弾でまた会いましょう。