古多更一の論画

サブカルチャーの評論、役に立つ記事や論画を書いていきます。

漫画タイムきらら化するコミュニティ

 
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 ぼくはただ美少女が好きだから、

漫画タイムきららという日常系4コマを
読むわけではないんです、
ただの美少女が好きなら、
SMAPAKB48に皆がハマり、
紅白に今年も出ますね♪という
皆アイドル好きだよね話で終わっちゃう。
ぼくは今の社会の共同体を表すものとして、
すごい関心を持っている。

 

一言で言えば、現代は、
絶対的な正義の終わりなんですよ。
誰か正しいのか誰か正しくないのか、
エビデンスや法的解釈、ディベート
無ければ、全ては、貴方の信じたいものを
信じれば?で終わっちゃう。
絶対的な正義は主観にすぎないから。

 SNSやインターネットの情報の早さ、
戦後民主主義に対する不信が進行して、
皆が『自分の見たい情報』を
過剰に早く接種できる現代において、
ナニが正しいかなんて、情報だらけ立場だらけで、安直に2つに1つに決められない。
21世紀は、大きな物語から小さな物語に
移行し、正義は相対的なものになったんです。

 例えば、ドラゴンボールの悟空は
フリーザーを倒したけど、フリーザーから
見たら、悟空は悪。悟空は、悟空、悟空の仲間の中で、正論を言っているにすぎない。
フリーザーから見たら、悟空の中の正論は
納得できるわけがない。
だって、フリーザーにとっての絶対的な正論は、フリーザーとその仲間たちで通用し、悟空の正論とは異なるから。
そして、現代は、悟空とフリーザーの二項対立の20世紀的な対立軸から、様々な悟空やフリーザーが1億いて皆が細かく対立し、誰もが正しくて誰もが正しくないカオスな21世紀な多正義時代に移行しているんです。
だから、昔のオタクの人々がガール的な都合の良い恋愛ラブストーリーをバカにするけれど、彼らはベタに二次元美少女の純愛ラブストーリーにハマっていて、結局、同族嫌悪の袋小路に陥っている、本質はどちらも同じ。

 今の時代において、
エビデンスいわゆる客観的なデータ、
そして、平等なルールの上で議論を
しなければ、自分の使っているメディアが
正しいんだ、だって自分の周りは
そう共感しているんだから、
という、お前の中ではな、
でも、主観をぶつけるなら、
コチラも主観で!という終わりなき不毛。
主観のぶっかけは泥沼にハマるだけ。

 現代は、誰もが漫画タイムきららの
女の子、もしくはジャニーズなのだ。
自分たちと似た者同士で連帯し合う
美少女やイケメンだらけ。
自分の中で正しくて、
他者から見たら正しくない。
この細分化社会で、
感情的にならずに、冷静な議論を
した方が建設的だ、
漫画タイムきららな閉鎖な世界を
脱却できる鍵は、主観にこだわらず、
他者の存在をまず
無条件に認めた上で議論することだから。